二本松ホテルルートインを8時頃に出発し、この日はまず飯盛山に向かいました。
市営駐車場から歩き、石段を登ったところに白虎隊自刃の地と白虎隊十九士の墓があります。
ご高齢や車いすの方、足腰が弱い方やお子様連れの方でも登れるようにスロープコンベアもありました。
1回250円で、私たちは石段を登りましたが、ダンナさんが暑さで汗だくになってきたところで
「ここから150円」となっていて、途中からでものれるようになっていました(笑)
厳しい暑さの日などは助かりますね。
自刃の地はなんとも言えない切ない気持ちになりましたが、歴史は実際にあったことなのだと実感もしました。
少し歩いたところに会津さざえ堂という建物があります。
高さ16.5m、六角三層のお堂で、独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていたそうです。 また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界にも珍しい建築様式で、国重要文化財に指定さているそうです。
さざえ堂をお参りした後は白虎隊伝承史学館と白虎隊記念館を見学しました。
続いて、ずっと行きたかった鶴ヶ城(会津若松城)へ。
蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて鶴ヶ城と命名。戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として知られています。明治7年までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年に天守閣が再建され、平成に入り茶室や隅櫓も復元されたそうです。
幕末の舞台のひとつ。八重の桜でも有名ですね。銃弾を激しく浴びた鶴ヶ城の資料写真が痛々しかったです。本当にこの地で激しい戦争があったことを実感します。
武者走りの石段。左から上り右から下りる決まりがあったため、大勢の人がぶつからずに効率よく上り下りできたらしいです。城の取り壊しのときに免れたため、石垣は築城当時のものだそう。
茶室麟閣。千利休が秀吉から死を命じられた際に、領主・蒲生氏郷が利休の息子・少庵を保護、その恩義に報いるために少庵が造ったと伝わる茶室。戊辰戦争でも戦火を免れたそうです。
本丸から東側にある二の丸を結ぶ長さ約13m、堀からの高さ約23mの朱塗りの廊下橋。
加藤明成の大改修まではここが大手口だったそう。
もとは屋根付き付きの渡り廊下だったことから廊下橋という名がつけられているみたいです。
鐘撞堂。戊辰戦争の際、会津藩が籠城したときにも正確な時を告げたといわれる。城外にいた会津兵は鐘の音で場内の健在を知り、勇気づけられたそう。
この日は平和の鐘を鳴らそうというイベントをやっていて、勧められて私も鐘を突いてきました。
お昼ご飯は鶴ヶ城近くの萬花楼というお店に予約を入れておきました。
お庭が美しい個室で…
松会席(税込み一人2,420円)をいただきました。
会津の老舗割烹料亭 萬花楼(まんげろう) (mangerou.com)
昨日のお昼はコンビニだったので、旅行気分を堪能し、とても美味しいお料理をいただきました。
続100名城の三春城は山城で、慰霊碑と本丸跡、石垣だけだったので登るのはやめて、三春町歴史民俗資料館にスタンプをゲットしに行きました。歴史民俗資料館 | 三春町ホームページ (town.miharu.fukushima.jp)
本丸にもスタンプのBOXが設置されているみたいです。
続いて白河小峰城へ。
立派な石垣が残っていました。東日本大震災で10か所ほど崩落するなどの大きな被害を受けたそうですが、崩れた石垣は江戸時代の伝統工法にもとづいて修復が行われ、2019年によみがえったそうです。
清水門跡。本丸と二の丸を繋ぐ重要な門で、櫓門の形式で大手門と並ぶ規模の門だったそう。
三重櫓。本丸の北東隅に建つ三層三階の櫓で、小峰城のシンボルとなっており、天守の代わりだったそう。1991年に復元されています。
本丸御殿跡。本丸の平坦地には藩主の居所と政庁を兼ねていたとされる御本城御殿(本丸御殿)がありました。畳数は707畳とする記録があり、かなりの大きさだったことがうかがえます。
二ノ丸茶屋で100名城スタンプをゲットしました~。二の丸跡の広々したところにあり、小峰城を眺めながらここでしか味わえないメニューを楽しめます。白河だるまバーガーが運気アップの縁起物なんだとか。私はソフトクリーム(350円)をいただきました。最近できたのかな?トイレも綺麗でした。
二ノ丸茶屋 – 白河/甘味処 | 食べログ (tabelog.com)
16時頃小峰城を出発し、帰路につきました。
充実した3日間でした☆
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